タイでカリビアン

バンコク移住生活4年目からの記録

ヨガとスピリチュアル

ヨガを始めて1年8カ月ほど経った。

 

自分は本質的にリアリストであり、ブログで国際政治について長文を書くような人間なので、スピリチュアルという考え方に全く興味が無かった。しかし、ヨガの修練を積むことで精神世界に興味を持ち始めるようになってきた。

この変化は自分自身にとって驚きである。この感覚はこれからもっとヨガが上達するにつれて変化してくるかもしれないので、今感じている事を文章に残しておこうと思った。これもある意味備忘録である。

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ウバヤ・パーダングシュタアーサナ

 

このブログでも何度か記事にしているが、自分がやっているのはアシュタンガヨガである。アシュタンガヨガは故Sri. K. Pattahbi Jois氏によって考え出されたヨガである。90年代にマドンナやStingがアシュタンガを始めた事でハリウッドセレブの間で大流行し、今では世界中で非常に多くの人々が修練に励んでいる。

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マリーチアーサナC

 

アシュタンガヨガには6段階のレベルがある。当然最初はレベル1、プライマリーシリーズから始める訳で、自分ももちろんプライマリーの練習を続けている。

アシュタンガヨガではポーズの種類、順番、呼吸、視点の全てが、言ってみればラジオ体操のように決められている。アシュタンガプラマリーのクラスであれば世界中どこでも同じ練習をしている事になる。ちなみにプライマリーシリーズを最初から最後まで行うと約1時間半弱となる。その間休みなくずっと体を動かしポーズを作り、呼吸を続けるのがアシュタンガヨガである。

アシュタンガヨガはヨガの中でも最も運動量が多いヨガと言われている。

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パスチマッタナーサナ

 

アシュタンガの教えでは、毎朝早朝からプライマリーシリーズ(初級者は)を練習せよ、とある。(満月と新月の日、女性はレディースデイがお休み)。自分はサラリーマンなので週3日(時々4日)しか練習ができていない。プライマリーシリーズにもかなり慣れ、やり切る体力はついてきたが、それでも1時間半の間ずっと動いて呼吸をし続けるのはとても大変で、まだ毎日は出来ない。

しかし、たとえ週3回であっても、毎回同じ事をやっていると日々の違いに気づくようになる。昨日出来なかったポーズがここを変えたら出来るようになった、とか、昨日は出来たのに今日は出来ないと言った感じだ。

それと、慣れてくるとポーズを作る時に、肩甲骨を引き下げる、とか、ハムストリングスが緊張しているから脱力する、などといった具合に、自分で自分の体の部位をコントロールしながら行えるようになってくる。

つまり、自分自身の内側を解剖学的に観察するようになってくるのだ。ヨガの修練を続けていく中でこれはとても楽しい作業である。

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ウルドゥヴァムカ・パスチマッタナーサナ

 

最初に書いたように、今自分はスピリチュアル、つまり精神世界の入り口に立っているように思う。

上に「自分自身の内側を解剖学的に観察する」と書いたが、当然肉体と精神は繋がっているので、必然的に「自分自身の精神世界を観察する」ことになるという訳だ。

例えば、苦手なポーズを練習していると最初のうちはきつくて苦しいだけだが、ポーズに慣れてきて正しい体の使い方がわかってくると、きつさや苦しさを俯瞰で見られるようになってくる。これは自分の感情や意識をコントロールするということにつながると思う。

また、ヨガ仲間の共通の経験として、きついポーズをしていると過去の苦しい記憶が蘇ってくることがあるそうだ。これは精神の浄化であるらしい。残念ながら物を溜め込まない性格の自分は練習中に過去の記憶が蘇るようなことは未だない。

まだ自分には感情や意識のコントロールは難しいが、ヨガの修練を積み、もっと精神世界に深く入り込んで行くことが出来れば、いずれは自分の精神をコントロールできるようになるのかもしれない。

その境地に到達した時に一体どんな世界が見えるようになるのかな。そこに至るのがとても楽しみなので、こんなにきつい修練にも耐えられるのかもしれないな。

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エーカパーダシールシアーサナの最初だけ

 

タイに来た当初、自称スピリチュアルを名乗る人間数人と会社で関わる事があったが、正直ロクでもない人間達だった。そのせいでスピリチュアルというものに対して良くないイメージがあった。

しかし、こうして厳しい修練を続けることで、自分にとってのスピリチュアルな世界の入り口に到達出来たことを思うと、今まで頑張ってきて本当に良かったと思える。

と言うか、最低でもこれぐらい厳しい修練と自制をしないと、今の欲にまみれた俗世間で生活しながらスピリチュアルな世界になんて到底到達出来ないだろうな。

 

一緒にアシュタンガを修練している嫁さんと「10年後に俺達どうなっているかな?」という話をすることがあるが、歳を取ってもまだ人生の先にチャレンジや未知の希望がある事は本当に嬉しいと感じる毎日です。


先週のプライマリーシリーズ宅練