タイでカリビアン

バンコク移住生活4年目からの記録

第七日 ゴールデン・トライアングル~チェンマイ

第七日 ゴールデン・トライアングル~チェンマイ

朝のメコンには霧がかかっていた。気温も低く上着を着てないと肌寒い。
今日も長い移動日だが時間には余裕があるので周辺を観光する事にした。
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昨夜の火事があったレストランを覗いて見ると従業員たちは元気に働いていた。大きなトラブルにならなくてなによりだった。屋根は燃えてしまったが翌日には仕事を再開しているのだからつくづくタイ人はたくましいと思った。


ホテルの横のレストランで朝食をとることにした。メニューにちょっと面白いものがあったので彼女が頼んでみる事にした。
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グリーンカレー・バーガー
食欲が失せるような名前だが食べて見るととてもおいしかった。ちなみに鶏肉に見えるのはシーチキン。これが味のバランスを取っているのだろうか。機会があったら是非挑戦してもらいたい一品だった。


食事を終えて徒歩で散策。
まずはオピウム博物館。
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特筆する事は無いがとりあえず行ってみた。


こんな老後はある意味幸せだな、と思った。
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決して体に良いものではないがこれはこの地方に長く続いてきた文化なのだろう。日本人の目線で一方的に否定する事は出来ない。いわゆる麻薬を資金源にしたり、かつてのイギリスの様に侵略に用いる事が本当の悪用であり、東南アジアの山奥で古い慣わしに従ってあへんを吸引しながら静かに老後を過ごす老人など好きにさせれば良いのだ。今でもラオの山奥では実際にあると聞く。


続いてワット・プラ・タート・プーカオに登る。
頂上からさらに上に行くと小さな遺跡があり、その横にある碑が立っていた。
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人気の無い丘の上にひっそりと立つお墓。
かつての先人の皆様の追悼の碑である。お供えにお~いお茶が置いてあった。きっと日本の方が自分と同じように追悼の意を表して置いて行ったのだろう。
戦時は色々な事があったと思う。しかし、過去500年の近代史を正しく読み解けば大東亜戦争は絶対に侵略戦争ではなかったと確信している。
今自分がこうして日本人としてタイに住んで旅行などが出来るのは全て先人の皆様のおかげであると改めて思うのであった。


お寺の上に行くとちょっとした展望デッキがあった。
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左がミャンマー 右がラオス 自分がいるのがタイ。


去年の年末にウボン郊外のコーン・チアムでメーナーム・ソーン・シーと言う所に立ち寄った。直訳すると2色の川だ。同じようにここも川の色がくっきりと分かれていた。
この景色を眺めながらつくづく国とは不思議なものだと思った。川一つ隔てるだけで全てが変わるのだから。
この後お寺の本道で慎ましく初詣を済まし、帰路に着くことにした。


帰路といっても真っ直ぐ帰るわけではない。もちろん寄り道をする。行き先はチェンマイ。
ルートは簡単。1280号線を戻りメーサーイから1号線を南下。途中118号線を西に入って真っ直ぐだ。問題は118号線がどんな道か、だった。

118号線に入って見ると案外平坦な道だった。途中休憩を挟みながらテンポ良く先に進む。ただ、後半は山道が待っていた。
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Google Mapではもう少しに見えても山道は長く感じた。道路は良いが起伏のある道はジミー号にはしんどい。
それでも道は空いていたので何とか問題なく走っていく。


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チェンマイ県に入る頃には夕陽が落ちかけていた。


チェンマイ市内に入るとさすがに交通量が増えてきた。長距離を高速移動した後の渋滞はジミー号には一番堪える。この頃にはさすがに冷却水の温度も上がりマフラーからは白煙を噴き始めた。
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旧市街に入ると渋滞も収まり一安心。見慣れたターペーゲートをジミー号の車窓から見るのも感慨深かった。


彼女曰く、日本人がいっぱいいたとか。
旧市街を半周してから城壁内に入り、見慣れたCMRCAの青いジムニーに挨拶をしてからホテルにチェックイン。さすがにジミー号はもう限界だった。しばしお休みだ。
自分達も疲れたので夕食は近くの店で済ませる事にした。


行きつけのインドカレー屋はタージ・マハール。チェンマイに行くと必ず一度は食べに行く。味はもちろんインド人にしては控えめな店員さんにも好感が持てる。
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今夜はバターチキンにビンディマサラ。いつも同じメニューかもしれない・・・


食後は珍しく一杯飲みたかったので近くのレゲエバーでリオを頼む。
何でタイにはレゲエバーが多いのだろうか?音楽はレゲエでは無いのに、などとは考えず明日のクレイジーホースでのクライミングプランを話しながらほろ酔い加減でホテルに帰って寝る事にした。
この時点でジミー号ではなく自分が壊れるなど一体誰が想像出来ただろうか?