タイでカリビアン

バンコク移住生活4年目からの記録

パタヤへドライブ

しばしば短い連休をもらえることがあり、そういう時は出来るだけバンコクから出るようにしている。バンコクは好きだが生活の場であるし、なにより自然が少ない。そして車を購入した目的の多くがそこにあるのだから。

パタヤへは何度も行っている。エカマイから124Bで快適なバスがひっきりなしに出ているから行き易い。でも今回はジミー号で行ってみることにした。やっぱり自分の車、自分のペースでというのは良いものだ。
都内の交通事情がデモの影響で読めないのでクロントイから高速でチョンブリまで、そのまま7号線で一気にパタヤへ。高速代が125B、途中LPGを満タンにして560B。格安の旅だ。

スクンビットから折れ、いつも降りていたバスターミナルを横目にビーチロードへ。実に最高な気分だ。


そのままビーチロードを真っ直ぐ走る。
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今更パタヤで何をする訳でもない。ただ海を見ながらノンビリでよい。そして昼のビーチは相変わらずファラン(特にロシア人が目立つ)で溢れていた。でも、それがパタヤ。ここはタイであってタイでは無い。
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初めて来たのは随分前だったと思うが、以前より水はきれいになったと思う。着いた時はハイタイドでビーチが小さく思えたが、それでもみんな気持ちが良さそうにそれぞれの時間を過ごしていた。


そして夜のパタヤはまた楽しい。色々な意味で。
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パタヤで夜遊びをしたことは無いがもちろんバー位は行ったことがある。今は彼女がいる生活が当たり前だから女遊びをしようとは思わない。もういい歳だし・・・
なのでもっぱらライブバーへ行ってビールを飲みながら往年のロックを聴いて夜が更けるまで時間を過ごす。

と、ウォーキング・ストリートを中華風の竜が練り歩いていた。そういえば旧正月だった。ここで爆竹はやめて欲しいがさすがにそれは無かった。
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Hot Tuna Barから獅子舞を眺めて。
AC/DCのThunderstruckは大盛り上がり。


ところで、パタヤはベトナム戦争時代のアメリカの寄港地として発展したことは有名な話だ。その時の米兵向けの娯楽施設として作られたのがゴーゴーバーである。
もちろんタイにはそれ以前から性産業はあった。しかし半裸でポールダンスをして自らセックアピールをするといういわゆるアメリカ式のセックスバーは無かった。アメリカが自分たちに都合の良いものとして持ち込んだものだ。
従来のタイのいわゆる置屋で働いていた女性がゴーゴーへ転職?したのは何故だろう?当時のタイのそういった女性ももちろん家族のためや金のために働いていたのだから、おそらく稼ぎが良かったゴーゴーへ移ったのではないか?

日本でも少し前からこれと同様の問題が何故か今になって騒がれている。
従軍慰安婦問題だ。
この問題を上記と同じ視点で見ると韓国の捏造だと言うことがはっきりわかる。

まず日韓併合前の李氏朝鮮とはどういう国だったのか?
長いこと中国の属国として朝貢し、20世紀になっても民主化できず、当時世界最貧国と言われ欧米列強からも「貧しすぎて植民地にする旨みが無い」と言われたのが李氏朝鮮だ。
それ自体を悪いこととは言わない。大陸にあって常に隣国中国のプレッシャーがあったのだから朝貢も仕方ないだろう。

だが、当時の両班といわれる貴族は、特権にしがみつき独立のための努力も戦いもしなかった。それゆえに国民の多くは特に貧しく、女の子が産まれれば身売りに出さなければならなかった。つまり朝鮮の公娼制度、キーセンだ。この制度は1000年前からあり廃止になったのは2004年だというから驚きでもある。日本でも数十年前までは貧しい農村で女の子の身売りがあったのだから想像するのは難しくないと思う。
そのキーセンが新聞広告で月給300円もらえる日本軍の慰安所に応募して誕生したのが従軍慰安婦である。(ちなみに当時の陸軍大将で月給約500円とか)これは当時の新聞広告に明記されているので明らかだ。

貧しさゆえに大量にいたキーセンから募集はしても何故強制連行などする必要があったのだろうか?? もちろん彼女たちの境遇を思えば同情もするし、大変な事であったろうが、それはあくまで朝鮮半島の問題なのである。
ただ、彼女達をを被害者に仕立て上げて国内に広めたのが朝日新聞や共産党だと言うから呆れてしまう。

ともかく、パタヤの(バンコクでもそうだが)夜の街を見ているといつもそんなことを考えてしまうのである。

それはさておき夜道を行くそこのオッサン、今夜もせいぜい張り切ってくれよ。

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